思考の種

覚書として

どんなにつらくても今この瞬間だけは耐えられる。

どんなにつらくても今この瞬間だけは耐えられる。

心や身体が疲弊してしまっているとき、過去や未来に注意を向けてしまうと、よりいっそう疲れを感じてしまう。
このようなときに注意を向けるべきは「今この瞬間」だ。

先のことは分からないが、少なくとも今この瞬間は耐えられている。
その一点にひたすらフォーカスすることで前に進むんだ。

難しいかな?

話を分かりやすくするためにマラソンで例えてみよう。

私は今100kmのマラソンを走っている。
現在地はスタートからちょうど50kmの地点だ。
身体の節々は悲鳴を上げ、気力体力ともにもう限界だ…

ここで過去に注意を向けるとどのような思考になるか…
「すでにフルマラソン以上の距離を走っているんだ。ボロボロで当然だ。もうこれ以上は走れない…」

では、未来に注意を向けるとどのような思考になるか…
「ここまでなんとか走ってきたが、まだ今まで走った分と同じだけの距離が残っている。このつらさがこの先50kmも続くなど到底無理だ…」

過去、未来のどちらに注意を向けても時間が今のつらさを強化してしまう。
確かなのは今この瞬間だけは耐えられているということだ。

ここまで走った距離はすでに体力の限界を超えているかもしれないし、もう1km先まで走ることもできないかもしれない。
それでも今、足を1歩踏み出すことだけはできている。
今この瞬間の1歩にのみ集中する。
次の瞬間にはその瞬間の1歩を踏み出せるということのみに意識を集中する。

そうやって、今という瞬間のみを愚直に乗り越えて行くことで栄光のゴールまで辿り着くことができるのだ。

心が痛んでいるときに、たとえば将来が怖くて考えられないときや、過去が思い出すのもつらいとき、 私は現在に注意を払うことを学んだ。
私が今いるこの瞬間は、つねに、私にとって唯一、安全な場所だった。
その瞬間瞬間は、かならず耐えられた。
今、この瞬間、誰でもみなつねに大丈夫なのだ。
昨日は結婚がだめになったかもしれない。
明日は猫が死ぬかもしれない。
心待ちにしている恋人からの電話は永遠にこないかもしれない。
だが、今、この瞬間は、大丈夫なのだ。
私は息を吸い、吐いている。
そのことを悟った私は、それぞれの瞬間に美がないことはありえないと気づくようになった。

ずっとやりたかったことを、やりなさい。より

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「とっても長い道路をうけもつことがあるんだ。おっそろしく長くて、これじゃとてもやりきれない、こう思ってしまう。」

しばらく口をつぐんで、じっとまえのほうを見ていますが、やがてまたつづけます。
「そこでせかせかと働きだす。どんどんスピードをあげてゆく。ときどき目をあげて見るんだが、いつ見てものこりの道路はちっともへっていない。だからもっとすごいいきおいで働きまくる。心配でたまらないんだ。そしてしまいには息がきれて、動けなくなってしまう。道路はまだのこっているのにな。こういうやり方は、いかんのだ。」

ここでしばらく考えこみます。
それからようやく、さきをつづけます。

「いちどに道路ぜんぶのことを考えてはいかん、わかるかな?つぎの一歩のことだけ、つぎのひと呼吸のことだけ、つぎのひと掃きのことだけを考えるんだ。いつもただつぎのことだけをな。」

またひと休みして、考えこみ、それから、

「するとたのしくなってくる。これがだいじなんだな、たのしければ、仕事がうまくはかどる。こういうふうにやらにゃあだめなんだ。」

そしてまたまた長い休みをとってから、

「ひょっと気がついたときには、一歩一歩すすんできた道路がぜんぶおわっとる。どうやってやりとげたかは、じぶんでもわからんし、息もきれてない。」

ベッポはひとりうなずいて、こうむすびます。

「これがだいじなんだ。 」

モモ (岩波少年文庫(127))より