思考の種

覚書として

判断とは選択肢の中から選ぶということである。

判断とは選択肢の中から選ぶということである。

「なぜAを選択するのか」とAだけにポイントを絞って根拠を考えるよりも、「なぜBではなくAを選択するのか」と比較して考えたほうが、Aを選択するということの根拠が、さらに深く、説得力のあるものになります。

世界のエリートが学んできた 「自分で考える力」の授業より

人は何かを判断するときには必ず選択をしている。

何もないところから決めているように感じたとしても、実際には無意識下で選択肢の中から1つを選んでいるに過ぎない。

よって、選択肢がなんであったのかを明確にすることで思考プロセスを辿ることができて根拠や説得力というものが生じるのであろう。

そして、選ばなかった他の選択肢をすべて完全に消し切った時に判断は決断(決意)となるのであろう。

「想い」は単なる願望。

他の選択肢を捨てたときに「決意」となる。

この1冊ですべてわかる コーチングの基本より

決意の本質をついた言葉だ。

安易な目標は願望になってしまうことが多い。

その目標のために何を捨てるのか?

捨てるもの一つ一つに対して真剣に考え抜き、全て捨てることに迷いがなくなるまで自問する。

願望と決意の違い

ダイエットにおける願望と決意

例えば、ダイエットに関していえば。

「2ヶ月で5kg減量する!」

これは決意ではなく、願望である。

「毎日朝30分早く起きてランニングする」

「間食はしない」

「22時以降は食事をしない」

「飲み会の誘いは全て断る」

これらは願望を実現するための決意といえる。

捨てるのは、睡眠欲や食欲が満たされるといった快の感情。

誘いを断ったら相手からネガティブな印象をもたれるかもしれないといった感情。

その他にも色々あるであろう。

そして、これらの決意を破ったのであれば願望は叶わないと思った方がよい。

逆に正しい決意に従って行動できたのであれば願望は叶う。

試験における願望と決意

私は大学生の時、受験対策のオリエンテーションで「過去のデータからこの国家試験に合格するには〜の集中講義を受講し、予備校にも通うべきだ。それらをしなかった過去の学生の合格率は10%である」などと脅された。

その因果関係は正しくないことは分かっていた。

集中講義を受けたから合格したのではなく、合格した人が集中講義を受けていただけのことである。

その日から卒業に必要な試験以外で学校に行くことはやめた。

通学時間がもったいないし、余計にお金を払うことはない。

そして国家試験合格のために決意したことは3つ。

1.毎日、実際の試験と同じ数の問題を解く(わからなくても何かしらの答えは出す)。

2.マルツケをし、間違えた問題は解説を読む。

3.試験日には、試験に間に合うよう会場に到着する。

この3つの決意を守れば必ず合格できると確信していた。

1.の決意の理由は本番に必要なスタミナと時間感覚をつけるためと、実行可能な問題数であるためであった。

始めは過去問題を解くという形をとった。

それまでまったく勉強していなかったので、問題を読んでも意味がわからない。

とりあえず適当な理由をこじつけながら答えを出すといった作業の繰り返し。

2.の決意においてのルールはただ解説を読めばよいというもの。

覚えなくていいし、理解もしなくていい。ただ読む。

当てずっぽうだったとしても、正解した問題に関しては解説を読まない。

想定はしていたものの初日は莫大な時間がかかった。

しかもまったく理解できていない。

そこから1週間は同じ状態が続いた。

精神的にも体力的にもなかなかキツかったのだが、決意と確信があったのでルールは変えずに続けた。

2週間程経つと以前に解いた問題が目に付くようになり始めた。

この頃から所要時間も減り始めた。

1ヶ月経つと前に見たことのあるような問題がほとんどになった。

3ヶ月経った頃には過去45回試験を受けている(2日間かけて行う試験のため)状態なので答えを出すことに関してはかなり熟練している(本当に理解しているかは別として)。

この時期に全国模試があった。この模試は卒業の要件であったため受験した。

結果は全国上位1%であった。

3ヶ月前は下位10%であったので自分でも驚くほどの大きな進展だ。

その後は自信がついたことと、問題解きにかかる時間が日に日に減っていったことで精神的にも体力的にもストレスがなくなった。

それでも3つの決意は守り問題解きは続ける。

半年経った頃にはすべての行程が3時間かからずに終わるようになったので、午後は罪悪感なく好きな事をして過ごした。

そして、試験日が近くなると会場から徒歩圏内のホテルを予約した。

今考えると「試験に間に合うよう会場に到着する」というのは願望の方であった。

決意を正確に表すのであれば、「試験会場が決まった時点でホテルに予約の電話をいれることと、ホテル代を支払う」ということになる。

その後、試験は無事合格した。

このように何か成し得たい願望があるのであれば、その願望が実現すると確信できるだけの行動(すること、しないこと)に対して決意するのである。

行動に対して決意できないのであれば、それはただの願望で終わることであろう。

そもそも心の底から望んでいることではないのであろう。